エアリアルのエアリーな毎日

こんにちは。皆様の役に立つ有益な情報を書いていきたいと思います。たまに簡単に日記や最近の気になる話題について書きます。エアリアルは好きなお菓子の名前です。

一般人が浄土真宗のポピュラーなお経「正信偈」を中学生用に意訳してみた

こんばんは。エアリアルです。 昨日は、応援しているサッカーチームの横浜F・マリノス川崎フロンターレの試合を見て興奮していました。最終節扇原いないけど大丈夫か、、マリノス優勝してくれ~。

話はさておき、

今日は正信偈のお経とその意訳をアップしました。 けっこう大変でしたが頑張りました。

正信偈とは何か?】

〇極楽浄土に往生するためには阿弥陀如来への念仏(信心)である。

〇その教えを正しく伝えてくれた七高僧は素晴らしい

ということが述べられています。

参照したサイトは以下のサイトです。

正信偈の教え-みんなの偈- 東本願寺

www.higashihonganji.or.jp

正信念仏偈・意訳

www5.synapse.ne.jp

YouTubeにありました正信偈の動画も掲載させていただきます。

正信偈のお経・読み方】

帰命無量寿如来 きみょうむりょうじゅにょらい

南無不可思議光 なむふかしぎこう

法蔵菩薩因位時 ほうぞうぼさついんにじ

在世自在王仏所 ざいせじざいおうぶつしょ

覩見諸仏浄土因 とけんしょぶつじょうどいん

土人天之善悪 こくどにんでんしぜんまく

建立無上殊勝願 こんりゅうむじょうしゅしょうがん

超発希有大弘誓 ちょうほつけうだいぐせい

五劫思惟之摂受 ごこうしゆいししょうじゅ

重誓名声聞十方 じゅうせいみょうしょうもんじっぽう

普放無量無辺光 ふほうむりょうむへんこう

無碍無対光炎王 むげむたいこうえんのう

清浄歓喜智慧光 しょうじょうかんぎちえこ

不断難思無称光 ふだんなんじむしょうこう

超日月光照塵刹 ちょうにちがっこうしょうじんせつ

一切群生蒙光照 いっさいぐんじょうむこうしょう

本願名号正定業 ほんがんみょうごうしょうじょうごう

至心信楽願為因 ししんしんぎょうがんにいん

成等覚証大涅槃 じょうとうがくしょうだいねはん

必至滅度願成就 ひっしめつどがんじょうじゅ

如来所以興出世 にょらいしょいこうしゅっせ

唯説弥陀本願海 ゆいせつみだほんがんかい

五濁悪時群生海 ごじょくあくじぐんじょうかい

応信如来如実言 おうしんにょらいにょじつごん

能発一念喜愛心 のうほついちねんきあいしん

不断煩悩得涅槃 ふだんぼんのうとくねはん

凡聖逆謗斉回入 ぼんじょうぎゃくほうさいえにゅう

如衆水入海一味 にょしゅしいにゅうかいいちみ

摂取心光常照護 せっしゅしんこうじょうしょうご

已能雖破無明闇 いのうすいはむみょうあん

貪愛瞋憎之雲霧 とんないしんぞうしうんむ

常覆真実信心天 じょうふしんじつしんでんてん

譬如日光覆雲霧 ひにょにっこうふうんむ

雲霧之下明無闇 うんむしげみょうむあん

獲信見敬大慶喜 ぎゃくしんけんきょうだいきょうき

即横超截五悪趣 そくおうちょうぜつごあくしゅ

一切善悪凡夫人 いっさいぜんまくぼんぶじん

聞信如来誓願 もんしんにょらいぐぜいがん

仏言広大勝解者 ぶつごんこうだいしょうげしゃ

是人名分陀利華 ぜにんみょうふんだりけ

弥陀仏本願念仏 みだぶつほんがんねんぶつ

邪見僑慢悪衆生 じゃけんきょうまんなくしゅじょう

信楽受持甚以難 しんぎょうじゅじじんになん

難中之難無過斯 なんちゅうしなんむかし

印度西天之論家 いんどさいてんしろんげ

中夏日域之高僧 ちゅうかじちいきしこうそう

顕大聖興世正意 けんだいしょうこうせしょうい

如来本誓応機 みょうにょらいほんぜいおうき

釈迦如来楞伽山 しゃかにょらいりょうがせん

為衆告命南天竺 いしゅごうみょうなんてんじく

龍樹大士出於世 りゅうじゅだいじしゅっとせ

悉能摧破有無見 しつのうざいはうむけん

宣説大乗無上法 せんぜつだいじょうむじょうほう

歓喜地生安楽 しょうかんぎじしょうあんらく

顕示難行陸路苦 けんじなんぎょうろくろく

信楽易行水道楽 しんぎょういぎょうしいどうらく

憶念弥陀仏本願 おくねんみだぶつほんがん

自然即時入必定 じねんそくじにゅうひつじょう

唯能常称如来号 ゆいのうじょうしょうにょらいごう

応報大悲弘誓恩 おうほうだいひぐぜいおん

天親菩薩造論説 てんじんぼさつぞうろんせつ

帰命無碍光如来 きみょうむげこうにょらい

依修多羅顕真実 えしゅたらけんしんじつ

光闡横超大誓願 こうせんおうちょうだいせいがん

広由本願力回向 こうゆほんがんりきえこう

為度群生彰一心 いどぐんじょうしょういっしん

帰入功徳大宝海 きにゅうくどくだいほうかい

必獲入大会衆数 ひつぎゃくにゅうだいえしゅしゅ

得至蓮華蔵世界 とくしれんげぞうせかい

即証真如法性身 そくしょうしんにょほっしょうじん

遊煩悩林現神通 ゆうぼんのうりんげんじんずう

入生死園示応化 にゅうじょうじおんじおうげ

曇鸞梁天子 ほんじどんらんりょうてんし

常向鸞処菩薩礼 じょうこうらんしょぼさつらい

三蔵流支授浄教 さんぞうるしじゅじょうきょう

焚焼仙経帰楽邦 ぼんじょうせんぎょうきらくほう

天親菩薩論註解 てんじんぼさつろんちゅうげ

報土因果顕誓願 ほうどいんがけんせいがん

往還回向由他力 おうげんえこうゆたりき

正定之因唯信心 しょうじょうしいんゆいしんじん

惑染凡夫信心発 わくぜんぼんぶしんじんぽつ

証知生死即涅槃 しょうちしょうじそくねはん

必至無量光明土 ひっしむりょうこうみょうど

諸有衆生皆普化 しょうしゅじょうかいふけ

道綽決聖道難証 どうしゃくけつしょうどうなんしょう

唯明浄土可通入 ゆいみょうじょうどかつうにゅう

万善自力貶勤修 まんぜんじりきへんごんしゅう

円満徳号勧専称 えんまんとくごうかんせんしょう

三不三信誨慇懃 さんぷさんしんけおんごん

末法滅同悲引 ぞうまつほうめつどうひいん

一生造悪値弘誓 いっしょうぞうあくちぐぜい

至安養界証妙果 しあんにょうかいしょうみょうか

善導独明仏正意 ぜんどうどくみょうぶつしょうい

矜哀定散与逆悪 こうあいじょうさんよぎゃくあく

光明名号顕因縁 こうみょうみょうごうけんいんねん

開入本願大智海 かいにゅうほんがんだいちかい

行者正受金剛心 ぎょうじゃしょうじゅこんごうしん

慶喜一念相応後 きょうきいちねんそうおうご

与韋提等獲三忍 よいだいとうぎゃくさんにん

即証法性之常楽 そくしょうほっしょうしじょうらく

源信広開一代教 げんしんこうかいいちだいきょう

偏帰安養勧一切 へんきあんにょうかんいっさい

専雑執心判浅深 せんぞうしゅうしんはんせんじん

報化二土正弁立 ほうけにどしょうべんりゅう

極重悪人唯称仏 ごくじゅうあくにんゆいしょうぶつ

我亦在彼摂取中 がやくざいひぜっしゅちゅう

煩悩障眼雖不見 ぼんのうしょうげんすいふけん

大悲無倦常照我 だいひむけんじょうしょうが

本師源空明仏教 ほんじげんくうみょうぶつきょう

憐愍善悪凡夫人 れんみんぜんまくぼんぷじん

真宗教証興片州 しんしゅうきょうしょうこうへんしゅう

選択本願弘悪世 せんじゃくほんがんぐあくせ

還来生死輪転家 げんらいしょうじりんでんげ

決以疑情為所止 けっちぎじょういしょし

速入寂静無為楽 そくにゅうじゃくじょうむいらく

必以信心為能入 ひっちしんじんいのうにゅう

弘経大士宗師等 ぐきょうだいじしゅうしとう

拯済無辺極濁悪 じょうさいむへんごくじょくあく

道俗時衆共同心 どうぞくじしゅうぐどうしん

唯可信斯高僧説 ゆいかしんしこうそうせつ

正信偈の意訳】

限りない「いのち」の阿弥陀如来に帰依し

限りない「ひかり」の阿弥陀如来に念仏します。

阿弥陀如来が昔、法蔵菩薩と名乗っていたとき

法蔵菩薩の師匠の世自在王仏(せじざいおうぶつ)さんの所に現れて

諸仏の極楽浄土を作った由来や、そこにどうしたら往生できるか、

また、その国土のありさまと、そこに往生している人々の善悪を観察され、

この上ないすぐれた願い(=十八願)をお立てになり

そして五刧(=216億年)という長い時間、考えを重ねて修めとり、

重ねて名声を十方に聞かせて救う、と誓われました。

阿弥陀如来のあまねく放たれる「量りない光」「辺(はし)なき光」・ 「何ものにも碍げられない光」・「対(ならび)なき光」・「もっともさかんな光」

「清浄(しょうじょう)な光」・「歓喜(かんぎ)の光」・「智慧(ちえ)の光」

「断えることのない光」・「思いはかり難い光」「称(とな)えつくせぬ光」・

「太陽や月を超えた光」を放ち、数え切れない世界を照らし

全ての生命あるものが、この光に照らされています。

南無阿弥陀仏」と唱えることは、正しく極楽浄土への往生が決定する原因ですから

阿弥陀如来への信心によって、私は救われるのです。

この世で仏になるべき身に定まり、極楽浄土で悟りをひらくのは

全ての人を必ず成仏させるという、仏の願いが完成したからです。

お釈迦様が、この世にお出ましになったのは

ただ阿弥陀如来のかねてからの願い(=十八願)をお説きになるため

五つの濁りのある悪い時代にある一切の人々は

お釈迦様の真実のお言葉を信じるべきだと思います。

ただひたすらにすべての人を救うという阿弥陀如来の願いを信じ喜ぶなら

煩悩を断たないままで、涅槃(ねはん)を得ることが出来ます。

煩悩にとらわれてしまう人も聖者も極悪の人も、自分で全て何とかしようと思う心を捨てて信心の道に入れば

川の水が海に入って一緒に混じるように、平等に救われます。

阿弥陀如来の光は、常に私を照らし守って下さいます。

仏様を疑わなくなり、救われた身になっても

むさぼりの心や怒り憎しみの心は、雲や霧のように

常に如来からたまわる真実の信心の上に覆いかぶさっています。

例えば日光は雲や霧におおわれていたとしても

雲や霧の下は明るくて闇はありません。

信心をいだいて仏さまを敬い、大いに喜ぶなら

五悪趣といわれる迷いの世界を即座に飛び越えることが出来るでしょう。

世間で善人だ、悪人だといわれる一切の人々は

阿弥陀如来の願いを聞いて信ずれば

お釈迦様は、「広大な智慧を得た者」とほめたたえ

念仏の信心がある人は「泥沼に美しく咲く白蓮華」だと称えられます。

阿弥陀仏の本願による念仏の教えは

誤った邪な考えを持ち、驕り高ぶる人々には

阿弥陀様の本願を喜び、念仏をいただくことが、甚だ難しいと思われます。

最も難しいもので、これ以上に過ぎる難しいことはありません。

インドの菩薩や(龍樹菩薩・天親菩薩)、

中国、日本の偉いお坊さん(曇鸞道綽・善導・源信源空)は

お釈迦様がこの俗世に出られた本当の意味を明らかにして、

阿弥陀如来の願いは末世の私のためのものだと明らかにされた

お釈迦さまは、インドの楞伽山(読み:りょうがせん)において

多くの人々のために告げられた。それは南インド

龍樹菩薩が世に出られて、

Yes/Noと決めつける考え方を悉く打ち破り、

大乗仏教のこの上もない教えを説きのべて

修行中に仏に成れるという確信を得た喜びを得て、極楽浄土に往生するだろう、と

「難行の陸路をすすむのは苦しい」と表された龍樹菩薩は

易行の船の旅(=念仏を信しること)の楽しさを勧められ

阿弥陀仏の本願(第十八願)を信ずれば

信心をいただくと同時に、必ず仏になることが決定した位に入ります。

だから、ただよく常に南無阿弥陀仏の念仏を称えて

すべての人々を救って下さる大悲の恩に報いましょう」と述べられました。

天親菩薩は『浄土論』を書いて、仏法を説かれました。

何ものにもさまたげられることなく救って下さる如来を信じ、

経典に依って真実をあらわして

すみやかに仏になる法(=十八願の1つ)を広く説かれました。

広大な阿弥陀如来の本願の力のはたらきによって

すべての人々を救うため一心を明らかにされた

大きな功徳の宝海(=南無阿弥陀仏のこと)を信じすれば

必ずお浄土で共にする仲間に入り

いのちが終わるとともに蓮華につつまれた阿弥陀如来のお浄土に生まれて

お浄土でただちに阿弥陀如来とおなじ仏様となり

煩悩のさかんな世界に遊びに現れ、神通力を顕現し、

迷いの世界にかえって現世に残されたすべての人々を救うことができると示された

大乗仏教の祖師・曇鸞大師は、中国の梁の国王が尊敬し、国王は

常に大師のおられた北の方向に向かい「曇鸞菩薩」と礼拝されました。

菩提流支から浄土教の経典を授けられ

仙人の経を焼き捨て、阿弥陀仏の浄土の教えに帰入された

曇鸞法師は、天親菩薩の「浄土論」を註解(ちゅうげ)して解説書『往生論註』を書かれて

「お浄土に生まれる因果も阿弥陀如来誓願による」と示されました。

「お浄土に往生するのも、迷いの世界で人々を救うのも阿弥陀如来のはたらきによるものであり、

お浄土に往生し、仏となるべき身に定まるのは信心1つである

穢れを知ってしまったわれわれのような凡夫は、本願を信じさえすれば

生死の迷いのままが悟りを得ることが出来ると言います。こうした仏様のお恵みを得る身になり

かならず、はかりない光明のお浄土に往生して仏様となり

迷える人々を、皆すみずみまで救います」と話されました。

道綽禅師(読み:どうしゃくぜんじ)は「聖者の自力による修行の教えでは悟りを得ることが難しい」と思い、

「ただ往生浄土の教えこそが仏さまの覚りを得る道である」ということを明らかにされた

そして多くの善い事を積む自力の修行を辞めて

功徳を円満にもっている名号(南無阿弥陀仏)を称えることを勧められました。

「三不信と三信」(信心があるか、ないか) という教えを丁寧に教え、

正法・像法・末法・法滅のどの時代でも平等に救う法を明らかにされ

一生涯、悪をつくりつづけても、阿弥陀如来の本願を信じれば

極楽浄土に往生して、仏の悟りを開くことが出来るとお話されました。

善導大師は、ただ1人誤りを正し、仏になることの正しい意味を明らかにされました。

自力の善行の人も、極悪の人も共にこれをあわれ悲しみ、

如来の光明と念仏が救いの手だてであることを明らかにされました。

広大な阿弥陀如来の本願の智慧の海に入らせてもらおうと

行者は正しく金剛のごとく堅固(けんご)な信心を得て、

お念仏をよろこぶ心が起こった時、

韋提希夫人(読み:いだいけぶじん/インドの、王である夫を息子に殺された妃)と等しく真理を確信する境地を得て

浄土に生まれ、真実こそが常に変わることのない、究極の安楽であることを理解することになると述べられました。

源信和尚は、ひろく釈尊一代の教えを学ばれて

ひとえに、阿弥陀如来のお浄土を願い、すべての人々に勧められた

専修念仏の信心は深く、雑業雑修の信心は浅いと判断し、

私たちが願う浄土は、阿弥陀仏の浄土である「真実報土」であり、阿弥陀仏が、自力にとらわれている行者に思い描かせておられる浄土を「方便化土」ではないとお話されました。

極めて重い悪人(=阿弥陀如来への信心のない人)は、ただただ念仏をしなさい。

私もまた、阿弥陀如来の光明のもと生活をしているが、

煩悩に眼がさえぎられて、その光明を見ることはできない。

しかし如来の大悲は常に私を照らして下さっている、と述べられました。

浄土真宗の祖師である源空上人は仏教を極めつくして

全ての人(善悪の凡夫)を憐みて、

真実の宗教たる浄土真宗を、日本の国におこし

選択本願(十八願)を悪世のこの世にひろめられました。

生死輪転(=真実を見失い、迷いの状態にある)の世界から抜けられず、留まっているのは

本願の教えを疑い、信じて受けいれないからであり

すみやかに悟りの世界に入るには

ただ信心1つによると述べられました。

無量寿経』の教えを広めて下さった浄土真宗の先生がたは

すべての極濁(ごくじょく)の悪人を、かずかぎりなくお救い下さいます。

出家をしている人もしていない人も、一切の人々は共に一緒に

ただよくこの高僧がたの説かれたことを信じましょう。

お読みいただきありがとうございました。